毎朝オンラインサロンで瞑想を配信している。前はライブでやっていたのだけど、今は朝録画して編集を終えてからYoutubeにアップロードしてる。平日の朝、この2年くらい?ほぼ休むことなく、続けてきた習慣。毎日、違うテーマが出てくる。もちろん、日によっては似たようなテーマになることはあっても。ネタはオラクルカードからもらっている。私の場合、オラクルカードは言葉を繋げる道具であって、一枚の絵には無数のストーリーが内包されているから、ネタが尽きることはない。

今日の話はだいぶ自分の中でも面白かったのでブログでもシェアしようと思う。今朝は「りんごの木」がカードに出てきた。リンゴと言えば、アップルコンピュータ―のロゴを思い出したり、聖書に出てくる話を思い出したりするかもしれない。北欧神話に、ギリシャ神話にも出てくる。白雪姫もそうだね。りんごは、豊穣のシンボルだったりすることもあるけど、もとは言えば、「誘惑」だ。なぜ誘惑なんだろうかね。人には興味や好奇心というものがある。あの赤い実はとても魅力的で取ってみたくなる。食べてみたくなる。それは人間にとっては自然なこと。その「好奇心」こそが罪とされたからだ。

なぜ、好奇心は罪かといえば、好奇心は知識の源であり、知識を得て体験してみることによって、人は覚醒し、パワフルになっていく。人間がパワーを持つことを恐れる人たちがいた。今もいる。
昔は、人を宗教でコントロールした。知ることは罪だと教えた。宗教はとても都合がよかった。今、メディアなどで人をコントロールしているように、昔は言うまでもなく宗教で人の心をコントロールしていたのだ。そしてそのベースにあるのは、恐れ。人がパワーを持てば権力を奪われるから、人に恐れを植え付て、コントロールした。こうしなければ、こうなる。こうすれば、こんなことになる。など。宗教的な教えでどうにもならない時、はりつけや、火あぶりなどにされた。権力を奪いそうな者を次々と処刑した。
魔女狩りなんかはとてもいい例だ。悪魔と契約してキリスト教社会を破壊する背教者という扱いをされた。15世紀頃に大規模な「魔女裁判」というものが起こり、15世紀から18世紀の間に4万人から6万人が処刑されたと言われている。いわゆる魔女と呼ばれる人たちは、自然と共に生きてきた者たちで、キリスト教の祭りよりも、夏至や冬至。満月や新月。収穫や種まきなどのリズムを祝った。誰かが病めば、キリスト教の祈りを捧げるよりは薬草やクリスタルを使った。魔女たちは神聖幾何学を使ってリチュアル(儀式)をした。自然と繋がる者たちは力を持っていた。宇宙のリズムに生きる者たちは恐れを知らなかった。権力者たちは、自分たちの権力を保持するために、人間を宇宙から、自然から出来る限り切り離さなければならなかった。そこで、グレゴリー歴という太陽歴を取り入れた。それは本来のリズムを崩すものだった。

権力を脅かす者はそうして処刑された。その動きは実は今でも止まるところを知らない。宗教ではなく、メディアで権力を維持している。これらの権力はまるで悪魔的なサタニックなものだ。
アップルコンピュータ―のロゴのりんごは齧られている。得る情報は、今や必ずしも知識とはなり得ず、既に脅かされたものであることの象徴でもあるだろうね。そして、私の中で、今やいちばん悪魔的なのかもしれないと思っているのは「スピリチュアル」であったりする。それも日本のね。特定のエンティティ、例えば龍信仰、天使信仰、スターシード信仰、ツインレイ信仰などだ。彼らを優しさと愛で包むフリをして、「そのままのあなたで」「ありのままのあなたで」「どんなことをしても許されるから」という無知に留めておく、かつての「恐れによるコントール」とは逆の「見せかけの優しさによるコントロール」だ。

人は見て見ぬふりをする。
自分が向き合う勇気がない時、人は見て見ぬふりをする。
夢の国、ファーストフード店、農業、衣料品から装飾品からパワーストーンまで。
トップには権力者という悪魔がいて、根底には奴隷がいる。それを見てみぬふりをして、自分の手に入りやすいものを適当に消費する。マインドコントロールから殺人まで自分が加害者であったり被害者であったりしながら。何となく見て見ぬふりをしているのか、もしくは本当に無知なのか。
人は知ってしまうと、向き合うことになる。それが怖いから。りんごの木にりんごがなっていても、それはとらずにしておく選択。知識を得れば、何かに向き合い、本当の魂磨きと覚醒が起こる。
やり方は変わっても、まだメンタリティは魔女狩りの時代とそう変わってはいない部分も多い。人が自然と触れ合い地に足をつけると、自然に宇宙と繋がる。そして誰の支配下にも自分の身をおかなくなる。それは、権力者にとっては今でも脅威なのだ。日本のスピ業界は、そんなサタニックな権力と結びついていると言わせてもらおう。間違いなく。
スピは人を救わない。人を眠らせておくのに都合がいい。
日本の社会では本当にたくさんの人がまだ眠っている。無知は罪だ。社会を変えるのではなく、学びを重ね自分の変容を促すためには、知識を得ることが大事。
知識はもはや、禁断の実ではない。そろそろ本気で目を覚まそう。
そのための體作りも忘れずに。