人間は脳の中で起こっていることだけを自分の現実であると勘違いしている。
いきなり結果を言っているので、今日のブログはこれで終わり!と言ってもいいくらい。
外からの影響に対する反応を「自分」だと思ってしまうのはなぜなんだろうね。
感情というのは「高まり」を与えてくれるからね。インパクトが大きい。

同じように他の臓器で起こっていることには全くもって鈍感なのに。脳は特別に感じてしまい、脳で感じることが「全て」になっている。
ということは、所謂「敏感」「繊細」な人って裏を返せば鈍感なのかもね。

脳で起こっていることだけに気を取られているから。
他の臓器は完全無視状態。
思考というのは、外からの情報収集でしかない。そしてその情報を処理して自分のマインドに保存していく。感情というのはそれに伴う電気信号。
外からどんな情報を取り入れ、それに対して體がどう反応するのかによって感じることが変わる。
ということは、自分の為になりそうな情報を取り入れることって大事。情報ってネットで何か読むとか、読書とかそういうことじゃなくて、環境だよね。そしてその環境にはまたマイクロバイオームを作る「菌」というものがある。どんな菌を持つのかによって體は変わるということはよく書いているよ。
體という外からのエネルギーを受け取る媒体を整えることは本当に大事。
とは言え、究極、體すらも自分ではなく、感情も自分ではなく、體も自分ではなく、全ては一時的な幻想。何をどうしたいの?自分で決めればいい。その内から湧き出てくる感覚だけが本当の自分なのかもしれない。
人間は脳に入る刺激にだけ反応し、内側の自分の静かな感覚、木を触ったり、植物に触れた時の感覚、星の音など、脳が受け取る情報以外のものには鈍感になってしまっている。

誰かに話しかけられた時の自分の反応、起こる出来事に対する自分の反応によって、どのくらい自分のエネルギーシステムが安定しているのか、不安定なのか知ることができる。
ここまで来ると、感情も思考も大事じゃないっていうのは、極論ではなくて事実になってくるね。昔から仏教やヒンズー教では言われているけどね。「幻想」って、これまた結構かるーーーーく口にされるけど、
起っている出来事を本当に「幻想」と思えて実践できる人ってどれくらいいるんだろう。

人間にとって誰もが抱く疑問というのは、自分はどこから来て、どこに向かっていくのか。ということなの、知ってた?
だから皆、過去世を知りたがる。どこの星から来たのか知りたがる。そして、これから何が起こるのかということを知りたがり、どのように物事をマニフェストできるのか気になって仕方がない。それがある意味スピリチュアルがビジネスになるキャッシュポイントではあるけど。。。。
大衆受けするメニューを出すことには猛烈は違和感がある私。
大衆が求めているのは、早い!便利!簡単! だからね。
スピリチュアルってそれのどれにも当てはまらないの。残念だけどね。
私は、早い、便利、簡単は提供しない。
スピリチュアルっていうのは輝かしい暮らしをするためにあるものではない。
他人に気分よくしてもらうとかでもない。あくまでも何でもない日常の中でスピリチュアルというのは「実践」していくもので、人生経験以外の何物でもない。
リーディングができるからすごいとか、そういう話では全くないのだ。
どうも人は「透視できる」とか「霊視できる」とか「チャネリングします」とか「一瞬で人を変える」とかそういうことに惹かれがちだけど。。。。
スピリチュアルって「より善い自分への変容の為に日々実践」という地味なものだよね。
そしてね、人は「どうして私はこれを経験しているの?」とか「私はどこから来たの?」とか知りたがるけど、それが全て明確に分かるなら、ここにいる必要ない。というか、それが大事なわけじゃない。それを知るためにエネルギーを費やすより、自分を高めることにエネルギーを費やしたらいい。分析したり、占ってもらったりして「知る」ことで頑張れるなら、やはり外から与えられる刺激によってしか自分を幸せにできないということだよね。〇〇がないから、幸せじゃない。っていうのはスピリチュアルな生き方ではない。
生きていると、色んな出来事に遭遇する。結局のところ、人としていかに、感情や思考に翻弄されずに、魂として洗練していけるのかっていう材料でしかない。
人生が上手くいくとか行かないとか、誰が決めるものでもない。自分だけの人生だ。
感情や思考を超えたところにある感覚を感じられるように、日々、自分の感覚を研ぎ澄ませて生きよう! 大事なのはそっちだ。感情や思考は「脳への刺激」だからね。あなたはどんな人で在りたい???