思い出してほしい。子供の頃の自分、親から何がほしかった?
そばにただ居てほしい。
それは7歳までの子供に絶対に必要な体感。
そして思春期になるまでの子供は、見てほしい。ただ見ていてほしい。
思春期からの子供は、信じてほしい。親に信じてもらいたい。
子育てとは、エネルギー体の成長のフェイズに合わせて、命の安全を守ってあげること。
そして、子供たちの魂の学びの邪魔をしないこと。
何かを施してあげることが、子育てではない。
7歳までの子供に理論で語っても、学ばない。
7歳までの子供は親の姿を見て真似ることしかできないのだよ。
子供に幸せに育ってほしいなら、親が幸せであること。
そして子供は身体からたくさんの刺激を受け取ること。
特に温かい肌の感覚。7歳までに、親からたくさん触られて育った子は何があっても大丈夫。
豊かで整った身体と安定した心を形成していく。
7歳からの子供はこの地球の美しさや不思議を大人の知性ではなく、子供の目線で、ただ共感してほしい。美意識を持って育つ子供は、どんなことがあっても、善悪を踏み違えることはない。全てをジャッジなく、ただ自分の美意識で
「それは美しい」
「それは醜い」と感じる力。
それが善悪判断となる。Youtubeでは「知識」しか得られない。知識は魂を満たさない。外側から与えられる刺激だけに反応しているのだから。魂を満たすものは、常に内側から湧いてくるもの。
この地球の美しさをたくさん子供と共感していくこと。それは海外旅行に連れていくとか、高級ホテルに宿泊するとかそういうことではない。Youtubeでもない。ゲームでもない。親の温かさと共にある、自然の美しさに対する共感なのだ。
そばに親がいてくれる安心感の中で、庭を探索するとか、季節の移ろいを感じるとか。そういうこと。一緒に料理をするとか、創作するとか、そういうこと。
明日何が起こるか分からない不安の中で生きる子供は、生存本能むき出しで、身体を硬直させる。親がそばにいて、明日は何が起こるのかストーリーと雰囲気で分かることが安定感を与える。大人の柔軟性を押し付ける時期ではないのだ。幼児期や児童期の安定感が大人になってから、どんなことが起こっても大丈夫な感覚をもたらす。この時期に挑戦を与えるのは違う。
思春期を迎える頃の子供は、「信じて。大丈夫だから。トライさせて。」という時期。その時に親が「失敗はないよ。経験だけだよ。経験したら、そこから何を学べるか考えてごらん。」という離れたところで見守ることが必要。この頃には柔軟性を学ばせることは大丈夫になってくる。少しずつね。
多くの親のしている子育ては「トレーニング」なんだよね。
それは、子育てとは違う。訓練だ。
社会に出ても恥ずかしくない人間。とか
社会に順応できる人間を作り出す訓練。
それは子育てとは違う。魂と向き合うこととは違う。
字が読めるとか、数が数えられるとか、大人と同じようなことができるとか、それは、観察能力の優れた7歳までの子供は、トレーニング次第でいくらでも可能だ。子供は親の言いなりに型に入れることができてしまうのだから。
でも、その時期に身体を作るということをさせてあげないと、大人になってから、とても軸の緩い子になってしまう。
身体づくりに必要なのは地球のビート。親がそばにいる安心感。健全な食生活。
地球を救うことや、アセンションの前に、自分の家庭、自分の身の回りを整えることが最大の人間としてのワークなんだと、シュタイナー教育者として、一人の親として感じること。
子供たちに物語を語る時、本を読むのではなく、語る大人の実体験が伴うものに、子供は夢中になって耳を傾ける。
無機質な音読とは違う。
Youtubeやゲームやテレビに子育てを任せない。
子供を持つことに決めた親なら、子供とエネルギーで、魂で向き合うことをしてほしい。
そこにどんな怒りがあっても、イラつきがあっても、悲しみがあっても、一日のうちに何度も子供と繋がれる瞬間があり、体温を感じられる瞬間があること。
そして、どんな年齢の子供にも
「信じているからね」「生まれてきてくれてありがとう」のひとことをかけることができるなら、人間として感情という反応を持ってしまうことも丸ごと許せてしまう素晴らしい親子関係が築ける。
地球の安定はそこから始まる。
小さい頃、子供と過ごす時間。
それは、「今」に意識を向けること。
人は何に向かってそんなに急いでいるのだろう?
子供が早く〇〇ができる。ってそんなに大事なことだろうか。
大人の知性で子供の成長の妨げをしない。
どんな親でも、子供は親を選んできたのだから、
それに向き合う覚悟をしよう。
長くはないその小さな時代。
全ての大人がそんな目線を持てたら、子育ても楽になる。
大変だよね、でも、こんな風に育ったよ。その経験が優しく地球に広がりますように。
私は子供たちが小さな頃、怒ったし、泣いたし、一人で子育てして辛いことがたくさんあった。でもそれを見て育った子供たちは「慈悲」の心を持っていると思う。一日の終わりの「今日も一日ありがとう」がお互いの「癇癪」を帳消しにした。
育児を全て私に任せて海外に出た元夫は、本当に大事な学びを逃してしまったのかな。と思うと、何故か「私だけにいい思いをさせてくれてありがとう」と感謝の気持ちが湧いてくる。あんなに孤独で苦しかったような子育ても何ひとつ間違いはなかったと思える。
どんな肩書よりも、それが私のいちばんの宝物かもしれない。
