過去世にこだわりはしないのだけど、私が懐かしさを感じる文化というのはいくつかある。①北欧 ②スコットランド ③北米 ④ロシア ⑤ペルシャ ⑥朝鮮半島 これらは音楽と匂いと空気感で蘇る。
このリストに上がってきていないもうひとつの大事なところ。それがチベットだ。
チベットは昔からかなり気になっている場所で、あの暴動の頃は胸が痛くて。チベット人のアイデンティティが失われていくことが悲しくて仕方がなかった。他人事とは思えなかった。チベット人と日本人だけがアジア圏で持つ共通のD系統の遺伝子は、平和の遺伝子とも呼ばれる。
今でもチベットという言葉を聞くだけで、反応してしまう。
そしてここオーストラリアで私はチベット人のラマと出会う。シンギングボウルの音に魅せられ、ラマの迫力のあるマントラのチャンティングに故郷さえ感じてしまった。
そこからサウンドヒーリングにはまり、チベット密教のサウンドヒーリングの勉強をし、そのほかにも密教の教えに基づくコースを受け、お寺に瞑想に通い、イベントにも足を運んだ。本当に貴重な体験をたくさんし、私もニコラスも子供たちもラマに可愛がってもらっている。チベットの僧侶たちにも、チベット人たちにもチベット語で話しかけられる。鬱陶しいくらいの懐かしいエネルギー。チベット人たちの人懐こさ。全然チベット語分からないのに!!息子に至っては、チベット僧侶にこねくり回され、「この子はチベットの僧侶だ」と言われる。きっと、今世での再会なんだろうと思う。小さい頃はシンギングボウルとチャンティングの響く本堂で昼寝していた息子。寝付く時にはいつも、シンギングボウルでサウンドヒーリングを受けながら眠りについていた息子も、今じゃ私よりデカいけど。
とにかく私たちは、チベットにとても縁がある。仏教というと、暗い、厳しいイメージがある。でも密教にはさらに深い宇宙の神秘が隠されているというか、教えにちりばめられていて、その中のひとつがアカシックレコードなんだ。宇宙図書館とは関係のないやはり「精神性」の話になってしまうのだけど、私はチベットやインドの目線から見るとき、人はアカシックに繋がることを目指しているのだと思う。
そしてアカシック、いや、アカシャとは、素晴らしい境地なのだ。そして仏教が教えている煩悩を超えた「手放し」の世界から、マニフェステーションについてまで語られている。
私は、ラマに聞かれたことがある。「りんごがいい?バナナがいい?」って聞かれたら、どう答えるのか?って。「りんご」って答えたら、笑われた。「バナナ好きじゃないし」と答えたら、肩をバシっとされてもっと笑われた。「チベットにはバナナないですよね、寒いし」とまともに話したら、
真面目な顔でその後マニフェステーションに話をされた。
聞いている最中に目の前に小さなクモが糸を紡ぎながらすーーーっと降りてきた。
「You are soooo lucky」と言いながらまた、私を見て笑った。
そんなラマも過酷な経験をあの時代にしている。平和な寺での修行ではない。本当の修行を、想像もできない屈辱を受けているのを知っている。本当の憎しみや怒りを、実践でコントロールしなければいけなかった。餓死寸前。脱水で死んでしまう寸前で、助かった。
アカシャの世界。
今度の講座で私がラマから受け継いだマニフェステーションに話。そして真のアカシックの話をしたいと思う。真のアカシックレコードとは。
クリスタルスカルと繋がり、宇宙の叡知と繋がる。繋がれるかどうかはその人次第。
絶対に繋がれる約束はしない。
本人がしていかなくちゃいけないことでしかないから。
でもね、アカシャに繋がるコツを伝えるよ。日本では伝えられない秘儀をね。
