「目立ちたくない」なのに、無視されるのも嫌だ。繊細でややこしい人にあるあるです。
私は場面緘黙だったので、学校で何が恐怖だったっかって、
先生に指されること。
国語の教科書を読むのは、大丈夫でも、
何かの答えを求められるのは恐怖。「分かりません」というのが精いっぱい。
楽器を演奏するのは大丈夫でも、
意見を言うのは絶対ダメ。
走り回るのは大丈夫でも
体育の授業で、ひとりずつ 跳び箱とか、絶対ダメ。
多分、大丈夫の範囲も人それぞれだと思います。
こういう話は、「自信がない人」とか「自己肯定感が低い人」というラベル付けで終わらせられてしまうのかもしれません。
どうやって自信をつけるか?とかどうやって自己肯定感を上げるか?なんて話にもなり、
頓珍漢だなぁと思います。
世の中には目立つのが大好きな人もいます。
この違いはどこで出てくるのか?
「性格」だと言えばそれまでですが、
性格は、私から見ればその人その人のプログラミングで、
生き残るために創り上げた殻の部分。
感覚から取り入れた情報と、それをどうする受容するのか、という部分。
その受容をどうアクションに持って行くか。
このパターンが性格だと思います。
深く眠っている時以外は、私たちは感覚から情報を取り入れています。
情報は感覚を通し環境から取り入れます。
なので、自分がどういう環境にいるのか(いたのか)というのは、感覚にどう影響したか、ということでもあり、
ヴェーディック占星術ではそれが面白いくらい出てきます。
ほんとに未知の科学の世界です。
確かに繊細な人は、右脳の活動が活発で、扁桃体の動きも活発だと言われます。
感覚から入る情報を処理する時に脳内ではストレスホルモンのようなものも分泌されてしまいます。
感覚から入る情報は危険だと処理しているからですよね。(ということは、危険だと感じる場面で安全な感覚を身体に与えると良いってこと)
「性格」が生きる上で自分を守るために着ている鎧だとすると、
生きづらさや、HSPのようなものは、脳の機能上「気質」になるのかなと思いますが、
気質に甘んじたところで、生きづらいものは、生きづらい。というのは事実。
そして上手くいくはずのことが、この気質が故に上手くいかない。ということがたくさんあります。
また、霊的に人間を観た時、人はその気質の良い部分を使っていくことや、人としてのバランスをとっていくことがとても大事です。
要するに「目立つのが嫌」というのは、
見られていると感じる「気配」が不快である。ということ。
見られている感覚が針のように刺さるのですよね。
独りだったら出来ることが、他人がいると不快である。ということ。
パーソナルスペースと言う言葉がありますが、それぞれの人が持つ他人との距離の持ち方の話です。
繊細な人はパーソナルスペースが広い。感じ取る受容体が優れているからです。
近過ぎると、感じ過ぎて不快です。
見られるのが嫌な人は、皮膚感覚が半端なく敏感で、
背面が弱点です。後ろから触られたり、急に肩を叩かれるのが苦手。
背面の使い方を上手くする必要があります。背面の空間を認知する力も弱いので、
代わりに守る反射が肉体的に背中に出ます。目立つのが苦手な人はほぼ100%背中や肩がゴリゴリです。
皮膚表面の感覚が敏感でお腹が冷たい。
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生きづらさやHSPのような気質は病気ではないです。
確かに脳の動きに特異性はありますが、脳はプロセスするコンピューターなので、
ソフトは変えられます。感覚に柔らかい刺激を与え続ければ、脳はいつしか「大丈夫」の受容に変わります。
敏感で繊細だからこそ、感覚から伝わる情報を変えていけば、受け取り方が変わり、
生きるのが楽になります。
生きづらさは障害ではなく、
変えていくべきものです。