三種の神器といえば
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八咫鏡(やたのかがみ)
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)です。
平成から令和になる日本で改めてこれらの存在を日本国民は目の当たりにして驚いた人たちも多いことでしょうし、日本は神がかった国であると言うことを久しぶりに感じることができる出来事でした。
今日は少し目線を変えて、三種の神器は人間の発達や進化の話であるのだということをアントロポゾフィーの目線、12感覚や人間の自我を育てるという目線で書きたいとおもいます。
三種の神器は実は日本に限ったことではなく、シュメールの文化でも見られます。そんな共通点が日本とシュメール文明の繋がりというロマンを彷彿させるのでしょうけれども、実際にはまだまだ分からないことだらけですね。恐らくこれは、マクロコスモス、ミクロコスモスの繋がりでもあり、宇宙と人間の普遍的な本質の話だから「共通」しているという風な観察の目線も生まれるのだと私は思います。

三種の神器は神から与えられた宝物で、三種の神器はこの世界を制する王としての力が秘められていると信じられていますが、これをアントロポゾフィーに重ねていえば、「自我をおろす」ということを象徴とするもの以外の何ものでもない。と私は解説することができると思います。人が何かを語る時、「そのすべてが事実である」という風な観方をするのではなく、何かのヒント、そして、全体の一部であるという観方をするといいのではないか、と私は思いますので、そこは気を付けて読み進めてください。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)といえば、勾玉の形をイメージしてみてください。陰と陽のシンボルであり、女性性と男性性のシンボルです。それはアントロポゾフィーの目線で付け加えれば、左と右のシンボル、反感と共感です。
人間が生存しているだけの状態から創造の人生に向かうためには、右脳と左脳が通い合わなくてはいけないし、正中線を越える必要があります。身体を動かすことで、左右の正中線を越えることができ、それが右脳と左脳の交信を促し、別の言い方をすれば、それは女性的な柔軟性と男性的な持続力を伴う実効性のようなものとも言うことができるでしょう。そして、それは反感と共感そのものです。色で言えば青と赤。この世界では古代から象徴的に赤と青という色をアーキタイプに見ることができます。
右と左の統合。その統合が顕著に表れるのは脳の一部である「目」です。ところがこの目はただ物質的に物を見る「視力」の話ではなく、色の世界です。この世界の色を感じる。目をつぶっても見えるその色、イメージ。イマジネーションです。シュタイナーの言う12感覚で言えばこれは「視覚」の乙女座の領域ということになります。人間は左右両方必要。反感と共感のバランスがあってこそ人間として発達した大人ということになります。
勾玉は乙女座的な視覚を表し、人間が左右のバランスとれたイマジネーションを持つことができるとそこから実行能力が生まれ創造性を最大限に生かすことができるということを教えてくれているのかもしれません。

八咫鏡(やたのかがみ)は、「自我」の確立の話であると言うことができます。自我は育てていくものです。2歳、3歳のイヤイヤ期の「わたし」や「僕」は、自分とお母さんが別の存在であるということが分かったという表現で、その「自我」は考えに現れます。やがてその自我の表現が発達と共に変わっていき、「わたしが」「僕が」感じる領域で表現されます。大人に近づいてくると、「わたしが」「僕は」は行動で表現されます。わたしらしさ、僕らしさを社会でも生かしていけるようになるわけで、そこからまた精神的成長が進むと、その自我の表現が変わり続けます。
21歳頃までアーキタイプな発達でいくとすると「私が私である」という自我感覚は、自己に留まらず、相手の目の奥を見てそこに霊的な存在を感じることができるような「あなたはあなた」であるということを知る自我感覚が育ってくるはずなのです。その発達の過程というのは、まず、触覚を通して、自分という存在はどこまでで、自分でないものの存在はどこから始まるのか、を身体の内で感じることからです。
赤ちゃん時代はお母さんとぴったりくっついています。触覚を通して自分の存在を知ります。自分の皮膚に反対からの抗力が働き、内で存在を知るのです。お母さんとの距離が少しずつ開くことで何が起こるのか?といえば、「真似」が始まります。勾玉の乙女座的イマジネーションである視覚がそこで働きます。右と左の交信が始まります。そしてお母さんがすることを頭の中の鏡に映し出して、それを行動に移してみることが「真似」です。人間の中の鏡がそこで働き始めます。真似をたくさんすることで、動きに自然さが出て、それは社会性に繋がり、やがて真似を通して多くの成功体験を得ることが自信になります。(成功体験とは社会の中の成功ではなく、肉体レベルでの、ということです。)
さらに身体を動かし真似を通して上下、左右、前後の空間認知能力と結びつき、他者との関わりの中で幾何学的なものの見方が生まれます。
・自分がイメージする他人が自分を見ている映像。
・他人が実際に自分を見ている映像。
・自分が実際に見ている世界の映像。
・他人がイメージする自分が見た他人の映像。
です。この4つの観方が上下、左右、前後の空間認知能力を通して生まれてきます。それこそがバランスであり、それは天秤座を表します。天秤座はアントロポゾフィーでは皮膚感覚、触覚です。前述したように、触覚を通して自他の境界を学び、それが育つと「自我感覚」が育つのです。自分は自分。他人は他人。そこにリスペクトのある霊的な力があります。

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は剣ですが、剣というと権力を表すものです。剣の表す権力とは、「未来を指す」「未来に向かう」リーダーとしての権力です。剣は天を指し、未来に向かいます。
自分はどこから来て、今どこにいて、どこに向かうのか。それは時間で言えば、過去の学びを知り、今できることを知り、それを未来にどう生かすか、というような置き換えもできるかもしれません。要するに、自分の現在位置を受け入れて未来の計画を立てるということ。自分の位置を受け入れ、自分の範囲を今知ることは人にとっての絶対的安心感であり、自信です。位置を知り範囲を知るというのは肉体レベルでは、ボディマップです。脳の一部には、自分の身体の大きさや自分の身体の部位が記録された事実上のボディマップというものが存在しています。これは、身体を動かし、高さ、低さ、狭さ、広さなど様々な空間の大小を体験することで発達し、出来上がります。
自分の現在位置と範囲を知ることは自分の中心、自分の軸が分かると言うことです。そしてその軸を知りながら身体を動かし、それは思考レベルで、ものごとを順序だてて考える力に繋がります。ばらばらのものを繋げ、順序立てるのはアントロポゾフィーでは運動感覚です。それは未来に向かって行動することになります。
そして剣の形を見てもわかるように、クロスの形をしています。これは、「自分の軸」「自分の正中線」はここにあるということがわかり、前後、左右、上下という幾何学が身体で把握できて、これらをバラバラに意図的に使えると言うこと=原始反射が統合されている
ということになります。
身体の前後、左右、上下が理解できて、使えるということは、三次元の地球を理解していると言うことで、理解するためには、動きを伴う(時間の流れとして認識される)四次元的目線が備わっているということです。そこに自我というまっすぐの線(軸)が入って五次元目線になります。5次元にアセンションするというのは、そういうことです。その目線をもつためには、地球の立体や幾何学を肉体を通して理解するということなのです。ふわふわとした妄想の世界ではないのです。それこそが射手座です。射手座は運動感覚を司り、それは未来を見据えて行動していく、まさにサジタリウスの姿です。

いかがでしょう?
この三種の神器は、人間としての最高のパワーの象徴なのだと思います。
シュタイナー教育は決して宗教的なものではありません。「自由な人間を育てる」という意味では、ただ食って出して寝る。という生存という枠にとどまらず、人として自分の人生を創造していく力を育てる教育です。自由さとは、好き勝手に生きることではなく自然の法則、つまり本質を知り生きる、境界やリズムやルールを知っているということになるのでしょう。
それぞれの人が自分の中の三種の神器を使って生きることができますように。
自分を育てる「生存から創造へ」Cosmic Light Pty Ltd
