理解されない悲しみ。
誤解される悲しみ。

人はそうなることがいちばん辛くて悲しくて、怒りを持つ。
その根本には愛されたい願望があるのだから。
ならば、自分が自分を理解したらいい。自分が自分を認めてあげたらいい。
自分が自分を愛したらいい。
愛とは、自分を高めていく意思でもある。
自分を高めていくことを諦めないことでもある。
それこそが、自分を邪険にしていないという証。
どんな時も自分にしか自分ことは分からない。そして同時に自分のことは自分では分からないという矛盾。
そんな時、分析をやめる。
分かろうともしない。
ただ、そうであることを受け入れる。
呼吸という革命にだけ委ねていけばいい。
理解される必要はない。
誤解されてもいい。
どうせ、誰一人自分を理解する人などいないのだから。
理解した途端、その姿は次へと形を変えている。
人は常に変容していく。
どんな時も強く感じる感情も「これは永遠ではない。一過性の反応である。」というだけ。定義しようとすれば、すり抜けていなくなるもの。
理解されたい承認欲求を超えるには、精神性を高めていくことしかない。
どんなに自分をほめてくれる人たちに囲まれても、外から与えられるものを追い続けるうちは、人は不安定なままなのだから。