宇宙の進化の中に 地球の進化が起こっていて、 地球の進化の中に 人間の進化があります。
人間の発達というのは、人間の進化の話でもあり、
人間の進化というのは地球の進化でもあり、
地球の進化は宇宙の進化と同じなのです。
私が「発達障害」の話をするのは、ただ学校や社会に順応する子どもを育てるための「機能」を見ているわけでないからです。この子の発達はどの時代にあるのか?子どもの発達がどこの進化で止っているのか、というスケールで見ているために、壮大な宇宙の話にまで広がるのです。
スピリチュアリティというのはこの壮大な宇宙の営みを包むものではありますが、ラッピングペーパーだけで中のプレゼントの全てを語れないように、スピリチュアルだけを切り取って話すのは無理があるといつも思っています。何せプレゼント Presentと言う言葉は、「現在」と言う意味です。ギフトと言う意味だけではなく。Presenceは「存在」です。
さて、今日はシャーマニズムのことについて。
日本はシャーマニズムが文化に溶け込んでいて今でも日本人のものの考え方に自然に浸透していると、西洋文化に触れていると特に感じます。日本人と話しているだけでは感じることができなかった、それこそ日本人の「前提」のような、無意識に共有している認識の中にシャーマニズムがあります。
少しこの地球の歴史に触れると、
宇宙の(太陽系)の歴史というのは
土星期⇒太陽紀⇒月紀⇒そして今現在の地球紀 という流れがあります。
ちなみに、今現在、木星紀に向かっています。
地球紀をさらに細かく分類すると
ポラール期⇒ヒュペルボレイオス期⇒レムリア期⇒アトランティス期⇒後期アトランティス期⇒第六期⇒第七期
という風に流れています。
今現在の地球は、後期アトランティス期にあります。
その、後期アトランティス期の中には、さらにこんな区分があります。
インド文化期(第一文化期)⇒ペルシャ文化期(第二文化期)⇒エジプト文化期(第三文化期)⇒ギリシャ文化期(第四文化期)⇒第五文化期。
と言う感じです。
ひとつの文化期の長さは約2160年あって、地球の歳差運動が生み出す「ズレ」の話でもあり、2000年前は春分の日の日の出の時、太陽が牡羊座にいたところ、今現在は春分の日の日の出の太陽は魚座にあります。星座が2160年に一回変わることと一致しています。(その観点から見れば水瓶座の時代にはたどり着いていません。風の時代ではない、ということ。)
現在の第五文化期は「魚座の時代」です。
ギリシャ文化期が牡羊座。(第四文化期)
エジプト文化期が牡牛座。(第三文化期)
ペルシャ文化期が双子座。 (第二文化期)
インド文化期が蟹座。(第一文化期)
ということになるのです。(この移動は逆行で進むため)
ギリシャやエジプトなど、地理的にとても離れていると感じる文化期ですが、東洋でも、もちろん同じ流れがあります。
ギリシャ文化期 と並行として 原スメル文化期があり
エジプト文化期と並行して イラン文化期があり
エジプト文化期と並行して ツラン文化期があり
ギリシャ文化期と並行して 中国文化期があります。
シャーマニズムというのは
第三文化期であるツラン文化期の意識です。
ツラン文化というのはウラル アルタイ語系の黄色人種で、トルコ、モンゴル、中国、朝鮮、日本の間の文化のことです。ウラル アルタイの人たちに共通していたのがシャーマニズム、自然信仰です。
石神、水神、土地の神、あるいは神木、聖獣、そういったものを崇める信仰です。
人々は石や風や雨、あるいは木や草や鳥やけものなどへの信仰を通して、自然と非常に深い関係をもつことができたのです。自然霊と、非常に密接な関係をもっていました。
人間の発達で言えば、幼児期はレムリア人のような意識で全てが感覚的で記憶力もまだきちんと育っていない状態。シャーマニズム的な第三文化期の意識は、小学校2年生くらいの子どもの意識です。地球のエレメントに調和することでエーテル体を強めているようなそんな美しい時期です。でも、発達は進みます。子どもは永遠に美しいシャーマニズムの世界にはいません。
やがて家を建て、農をして、種を守るために、生命を守るために、ルールが生まれて、統制する意識も生まれてくるのです。そうやって発達し、時には醜い子ども同士の闘いも生まれ、その経験があってこそ人としての成長が調和に向かっていくのです。
人間の発達と地球の進化はこのように異質のものではありません。
シャーマニズムの意識でもある第三文化期の意識は、自然と調和して生きる意識であり、自然霊を崇める世界なので、物質文明を創ろうとするアーリマン的な衝動を持たず、どんな土地にでも馴染むことができました。そのため、国家形成をするとか、権力を持つということに全く興味をもちませんでした。新しい技術のようなものにも興味を持ちませんでした。その代わり、生と死の世界、夢を大事にするなど全く違う価値観を持っていました。
今の人間は、肉体とエーテル体が固定されているような観方になりますが、シャーマニズム的な前提として、肉体とエーテル体を分離して考え、肉体を生かす「エーテル体」の動きや特性を、ひとつの霊として考えるような傾向があったようです。イメージとしては日本だったら、弥生時代の巫女の異常な興奮状態、熱狂などのような感じですね。
アヤワスカなどの植物が最近はセレブの間でも幻覚をもたらすドラッグとして知られていて、どんな人も、ものすごい霊的体験をすると言われますが、
シャーマニズムの時代に生きている人と、現代の物質的な時代に生きている人との前提が違うので、アヤワスカで無理やり肉体とエーテル体を分離して、アストラルの旅をさせても意味がないと個人的には思います。
それらを掴む「自我」が発達していない時に、ドラッグで幻想体験をすることに何の意味があるのでしょうか?
私たちは、シャーマニズムの時代に戻ることはできません。進化のプロセスを進んでいますから。ただ、シャーマニズムから学べることや、リマインダーを得ることはできます。
自然界へのリスペクトや物質的なものへの執着を手放すことです。
今の地球はあまりにもアーリマン意識に偏り過ぎていて、物質的欲望に支配されすぎています。
でも、繰り返しますが、あの時代には戻れません。あぁいう未来はやってきません。仮に食糧難がやってきて、物質的に貧しくなっても、あそこには戻りません。戻れません。
第五文化期の人間がこの後、第六文化期、第七文化期と進んでいき、
「木星紀」という時代に向かう中で、
学んでいるのは、物質的なものと霊的なものの中庸。それを意図的に自我を降ろすことでしているからです。
なので、貧清が霊性の高さだからそこを目指しているわけでもなく、土人に戻るわけでもなく
ギラギラ金持ちになったもの勝ちみたいなところを目指しているわけでもなく サイボーグやバービー人形のようになるわけでもなく
人生の目的を持って意図的に生きることが第五文化期の終わりに近づく地球人にとって大事なテーマなのです。
テクノロジーは第六文化期に向かってもちろんさらに発展していきますが、
それすら「意図的に使えるかどうか」「人生の目的にそれが合っているかどうか」というところにAIに支配されない人間らしい生き方があります。完全にテクノロジーを避けるシャーマン的な生き方をする必要はありません。
でも、人間は自然と共に生きているという意味では第三文化期のシャーマニズムからもう一度学び直すべきことはあるのだと思います。
