「わたしはわたしである」という意識は人間だけに与えられたものです。
純粋な「自分」という意識は生まれてすぐに完ぺきに備わっているものではありません。自分という「自我」の意識は自分の周りの世界との関わりの中で育っていくものです。
赤ちゃんは3つの方法で周りの世界との関わりを学んでいきます。
1.感覚的印象を通して
2.呼吸を通して
3.栄養摂取を通して
です。
赤ちゃんはお腹の中にいる時はお臍から栄養を摂っています。
そして赤ちゃんは生まれると、栄養を母乳から口を通して摂取するようになります。
代謝系からリズムと共に消化系に移るということでもあります。
空腹と満腹のリズムは肉体を育て
受け取ることと与えることのリズムが魂を育て
「わたし」と「あなた」という関係性が霊的な要素を育てていきます。
授乳には熱感覚、嗅覚、味覚、触覚、運動感覚、平衡感覚、生命感覚、視覚、聴覚など様々な感覚的印象と出会う人間として必要な経験が詰まっています。
栄養が与えられれば良いということだけではなく、人間として地球で生きていくためのかけがえのない経験となり、21歳までその影響は強くその人の中で影響し続けます。
母乳には自律神経の働きになくてはならない糖質が含まれています。他の何にも替えられない糖質です。シュタイナーは母乳は「眠っている霊を人間の中に起こすこもである。」という表現で表しています。
大きくなっても、私達は3つの方法で世界との関わりを持ち続けます。
・どんな印象を取り入れるためにどんな環境を選択するのか。
・昼と夜のリズム、太陽と月のリズム、季節のリズム、動く時と休む時などリズムをマクロコスモス、ミクロコスモスのレベルで取り入れられるのか。
・身体が栄養を取り入れることができるような食生活をしているのか。
この3つは永遠に地球人として維持するべき方法なのでしょう。
私たち地球人は、この地球という惑星で重力に抵抗しながら生きることを決めてきた霊です。
そして人生の意味を自分で決めることができる自由を持ちます。
それは瞬間、瞬間の感覚的印象を自分の中でどう意味づけるのか、ということから始まります。
感覚的印象の意味付けとは、取り入れる印象を処理する力に関係します。
印象の処理能力。それは科学的な言葉で表せば、「感覚処理能力」ということになります。
人間は五感だけではなく、少なくとも十二の感覚を取り入れます。
一般の世界でも、五感、それに内受容感覚、固有受容覚、前庭覚なども普通に理解されるようになりました。
感覚の処理には、「平衡感覚」がとても重要な役割を果たします。
平衡感覚は感覚のオーガナイザーです。
平衡感覚が幼いと、感覚的印象は不快であり、経験は「不安」「恐れ」「十分でない」ようなものになるのです。
平衡感覚は赤ちゃんが水平状態で抱っこされたり、床の上や布団の上に水平状態でいることから育っていきます。首が据わって、背中がしっかりしてきて、赤ちゃんが自分で首を上げることができるようになって初めて縦の抱っこをしてもよい状態となります。
まだ準備ができていないうちに、縦抱きで寝かしつけたり、いつもスリングや抱っこ紐で寝かしつけたり、車やバギーでの寝かしつけをしたりし続けることは、平衡感覚の発達を妨げます。
赤ちゃんは様々な理由で「寝れない」ということがあります。
寝れない理由を観察してみると、背中の過敏さ、リズムの幼さ(消化、呼吸、昼と夜等)、感覚の処理の問題であることが殆ど。
どれも日中に赤ちゃんの平衡感覚を育てるように意識していくことが、大きくなっても感覚の処理の力に繋がり、やがて、起こることの意味付け、最終的に人生の意味付けになっていくのです。
平衡感覚は、平均台を歩くことや木登りが得意なこと、サーカスのような動きができるということでもありません。
じっと止ることができるのかどうか。なのです。
カラダが止っているように見えても、頭の中で思考が暴走しているのであれば、じっと止っているわけでありません。夢見るようにイメージが暴走することも、じっとしていられることとは違います。
最高の平衡感覚は今ここで止る能力。
それが感覚の処理であることは、脳科学でも説明することができます。
シュタイナーは、私達が止ることができる時に自我が降りてくるのだと言っています。
静止することができれば、人生の意味を見いだすことができるということなのです。
それは肉体を育てることから始まります。
静止することとは、「行動しない」わけではなく、リズムの上になりたつもの。
自分の人生の目的のために行動するときと、静止して休むときのリズムです。
平衡感覚は意図的に生きることに繋がっていくのです。